甲太郎歌帖

前職はなぜ辞めました？ 喉を突く剣のような面接の問い

郵便のバイクへ吠える犬は消え陶器の犬が居座っている

傷多きサイドミラーに夕焼けと君を映して橋を渡ろう（ 東濃ニュース ）

海風を含み膨らむ郵便を束ねて落とす魚臭き闇（ 夕刊デイリー ）

一歩だけ蝉時雨から外へ出て自分は父になったと気付く 羽根つきの餃子はありて羽根つきの人間をらず後輩の通夜

伸びきったマスクの紐と離縁した人のことばは耳に優しい

窓にまだ君の指紋の残りおり雨の消せない体温として

肩車する児は「つき」へ行けと言う今を逃せば行けないだろう

神木のうろにはさまるビー玉の映す色みな夜祭の影

君へ貸す夜風の色のパーカーのフードのうちにはりつく桜

病室の折り鶴つくりかえ飛ばす紙飛行機のその先の空

珈琲の水を汲むため山を越え山又山を越えて一杯

近道はこっちだよって言う君へ遠回りして伝えたいはな

電柱を辿れば海へ着くだろう春から夏へ変わる口笛

生命を宿した過去のないビルで人事へ告げる妻の臨月

人生を語らぬ祖父の遺言は「カラマーゾフの兄弟を読め」

北風にめくれぬように絵本抱く児を曳き妻の病室へゆく

潮風を電気に変える翼から獣めく声聴こえ夕暮

光呑み音呑み火呑み燃えかすの花火を呑んでなお暗い海

土日祝休配の法施行され秋晴れへ干す郵便制服

羽根つきの餃子の羽根を羽根もたぬ吾は箸もて音たてて割る

配達の道順にない小径ぬけ額あぢさゐに取り囲まれる

赤茶けた更地の隅の受箱へ「郵便です」と秋風を差す

電車から見ていた町に住みはじめ車窓を意識しながら歩く

向日葵の立ち枯れてゆく雄々しさに習ひて吾は警棒を振る

木蓮の花は開けり君の名は手話で言ふならこんなかたちに

夜よりも濃い葉の底の枇杷の実よ児のうちあける妻の口癖

真夜中の小鳥を呼べるファミレスの「話を聞いて」ボタンを押せば

出張し心の裡を診せにゆく名古屋駅前ビルの高さよ

ウイルスに負けてもいいよ十字架の赤いネオンは月へ触れそう （ 現代歌人協会 ）

サッカーの試合に勝った少女らの拭わずにいる頬の春泥

シャツにつく抹茶アイスの緑色　海から雨のはじまっている 陸上で生きるヒトではないぼくはうまく呼吸を続けられない

ふるさとの肉を何度も噛みしめるインドネシアの実習生は

散ればもう二度ともどらぬ木蓮の花びらのよう生きているとは

球場の誰も座らぬスタンドに無言の夏が腰かけている

潮どきをまだつかめない児のトイレトレーニングのとうめいな渦

屋根のある町の尽きたらそれからは雨に降られる町のはじまる

東京へ行きたいと言う後輩の描く東京ならば行きたい

周庭の黒い無言を塗り分ける鉛筆が要るそれと光も

配達の近道失くす小満の植物たちの伸びるはやさに

夜の来る郵便室の区分棚はがきの束は明日の手を待つ

郵便の投函のたび指先は世界のふちの春風を押す

スピノザのレンズ磨きの手つきまね家々めぐり郵便を差す

夏の闇へ指を忍ばせ取り戻す一軒あとへ差すべき葉書

傘の柄を握るてのひらゆるめれば回りはじめる夜の電飾

海へゆく郵便バイク荷箱からはみ出して咲く向日葵の花

心臓に毛が生えていて春風にそよげば君の町を歩ける

比喩としてシーラカンスを使う夜ラジオはぬるい小雨を告げる

藍色の眼鏡をたたみ置けば消ゆ街の灯ひとつ友だちひとつ

「読め」と遺した祖父へ―― 遺言の『カラマーゾフの兄弟』を見つけるたびに一巻がない

海際の夜へ配達しに行けば吾のみを照らす春の月かも

病院に山茶花の咲く夕刻は山から雨のはじまる予感 点滴に繋がれている児の眠り青い震えは星と呼ばれて 病院の高い窓から妻と児が見下ろす息で玻璃は曇れど　（ 静岡新聞 ）

新聞の配達員へ吠えないが郵便夫には吠える柴犬

区分棚から恋の声漏れ聞こゆ定形外で塞ぎきれずに

春雨を吸う靴でゆくこの町でもっとも月に近い扉へ

病院の壁に貼られた鳥の絵へ児は点滴のない手を伸ばす（ 倉吉市立図書館pdf ）

ピアノ売る　冬の星座を凍らせた母の歌声こそがふるさと

冷蔵庫のなかの空 眠らない児らの集まる公園へ届こうとする満月の蒼 児のひらく夜の絵本は昼間には見つけられない獣がひそむ 真夜中の児はあけたがる冷蔵庫「もーもーいた」と青空を指す カーテンと月の光にくるまれる児にやまなしのかおり耀く 川べりを歩く児の指す宙の果てきっと名前を持たない星座 （ ふじのくに芸術祭2020 ）

荷箱には収まりきらぬカレンダー脇に挟みて郵便夫ゆく

ハンカチで蛇口を拭いて去る人の肩へこぼれる柊の花

夕刊と郵便の配達員が三日月のもと会釈を交わす

恐竜が目覚めるほどの恋をしてあとは滅びるだけの僕らだ（ 延岡市 ）

『城』を読む　冬の東京シモキタを飢えて彷徨う夜もあったな

結婚し苗字を変えたのに祖父や父と似てきた髪の生え際

汽水湖に湿る家族は三人で分け合って飲む蜜柑のジュース

ありえないほど真っ白な飛行機が郵便夫らの頭上をよぎる

配達を終え凍る手を加湿器へあてがう指を取り戻すため

宛所にたずねあたらず還されるサンタクロース宛の封筒

島田修三選優秀 第四種郵便はこぶバイクから秋の薫りの速達こぼる 小島ゆかり選佳作 虫さされ跡に傷跡日焼け跡こどもの脚は地図で日記だ

菜園の山羊は園児の手を浴びて細き眼にトマトの映る

ワセリンを手指手首に塗りたくる冬の葉書に切られぬように

庚申の堂へふかぶかお辞儀する園児の列はさざんかへ消ゆ

児の手折る草は名草にあらねども児の手折るゆゑ玻璃の器へ生く

空はまだ青 おりがみを折ってなにかを児はつくる名など無いけどなにかは赤い 母の折る鶴をほどいてしまう児の指に塗られたクレヨンの白 おりがみはやぶかれみなみかぜに散る折り目に鳥のかたちの記憶 おりがみの紺を柑樹へ添える児よそよげば紙も葉のにおいして 吾のつくる紙飛行機を児は飛ばすすぐに落ちても空はまだ青（ 伊佐市 ）

入院の児のともだちはすぐできる点滴のない掌を合わせたら（ 魚沼市PDF ）

漆黒の爪に針路を変えられた蟬のゆく空どこまでも青

チョコレートアイスを君にかじられて僕の心に残った歯跡

八月の鳥居をくぐり夏帽を肋のくぼむほどに押し当つ

樹の下に憩うウーバーイーツいて胃袋色の太腿さらす

虫さされ跡に傷跡日焼け跡こどもの脚は地図で日記だ

第四種郵便はこぶバイクから秋の薫りの速達こぼる

大雨の夜に放送大学のラジオを聴けばたわむ哲学

自転車を追いこす風を追いこした自転車乗りの汗は海色（ 日本歌人クラブ ）

橋をゆく車の尾灯みな空を飛べる強さを秘めて夕焼け（ 朝日新聞 ）

「暑いね」と言えば誰かが「暑いね」と返す　ふりむく　だあれもいない

編集の職に戻った妻を置き児とふたりきり夏潮へゆく

短歌の着想を得た地点やゆかりの地点、そして移動を記録した地図。もしかしたら心理地理学の系譜に連なるかもしれない。 ピンをクリックすると説明で短歌を読める。レイヤーは年毎に分類してある。